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最高裁判所第一小法廷 昭和36年(オ)957号 判決 1964年4月09日

上告人 ロバート・ホールマン(仮名)

被上告人 ローラ・ホールマン(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人鈴木秀雄、同佐々川知治、同フランク・エッチ・スコリノスの上告理由について

所論は、本件訴訟につきわが国の裁判所の裁判権を否定した原判決は、渉外的離婚訴訟に関する法律の解釈を誤った違法があるというものである。

しかし、離婚の国際的裁判管轄権の有無を決定するにあたっても、被告の住所がわが国にあることを原則とすべきことは、訴訟手続上の正義の要求にも合致し、またいわゆる跛行婚の発生を避けることにもなり、相当に理由のあることではあるが、他面、原告が遺棄された場合、被告が行方不明である場合その他これに準ずる場合においても、いたずらにこの原則に膠著し、被告の住所がわが国になければ、原告の住所がわが国に存していても、なお、わが国に離婚の国際的裁判管轄権が認められないとすることは、わが国に住所を有する外国人で、わが国の法律によっても離婚の請求権を有すべき者の身分関係に十分な保護を与ええないこととなり(法例一六条但書参照)、国際私法生活における正義公平の理念にもとる結果を招来することとなると解するを相当とすることは、当裁判所の判例とするところである(昭和三七年(オ)第四四九号、同三九年三月二五日大法廷判決)。これを本件についてみるに、原審の確定したところによれば、上告人は一九五〇年以来アメリカ陸軍軍属として単身で日本に来ているが、被上告人は日本に来たことがなく従って日本に未だかつて住所を有したことがないというのであり、そして上告人主張の本件離婚原因たる事実が前記判例に示すような上告人が遺棄された場合、被上告人が行方不明である場合その他これに準ずる場合に該当するものでないことは、上告人の主張自体から明らかである。しからば原判決が本件訴訟を不適法として却下した第一審判決に対する控訴を原判決判示の理由により棄却したことは、前記当裁判所の判例と趣旨を同じくするものであって正当である。所論は、右と異なる見解に立って原判決の違法をいうものであって採るを得ない。

よって、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 斎藤朔郎 裁判官 長部謹吾)

上告代理人鈴木秀雄、同佐々川知治、同フランク・エッチ・スコリノスの上告理由

原判決は法の解釈を誤り、違法に我が国の裁判権を否定したものであるから破毀を免れないと信ずる。

一、原判決は本件離婚の訴につき我が国に裁判権無しとの理由を以て本訴を却下した第一審判決を正当とし、控訴を棄却した。而して、その理由において『渉外的離婚訴訟の国際的裁判管轄については明確な国際法の原則が確立されてなく、我が国においても外国人に対する離婚訴訟の裁判権については、法例その他の成文法上明確な規定もないのであるから、法律欠缺の一場合として条理に基いて妥当な規範を発見するのほかはない』とし、専ら法例及び民事訴訟法の規定のみを参酌し、人事訴訟手続法の管轄の規定については顧慮することなく、本件訴につき結局我が国の裁判所は裁判権を有しないとしたのである。

しかし乍ら、原判決の右見解は渉外的離婚訴訟の管轄に関する法律の解釈を誤る違法がある。

先ず第一に、我が国内における民事裁判権の管轄について原判決は民事訴訟法第一条を引用し、同条が訴は被告の普通裁判籍所在地の裁判所の管轄に属する旨を定めている趣旨は相当準備をして訴を起す原告と不意を打たれる被告との間の不公平を緩和し、また原告の理由のない訴の提起によって受けることのある被告の損害をできるだけ軽減しようとするものでありこの精神は各国の民事訴訟法の定めているところであると論じ、『この精神は渉外離婚訴訟についても妥当することであって、外国人同志の離婚訴訟については、被告が日本に住所を有することを原則とすると解す』るとしている。

成る程財産権に関する訴については被告保護の建て前から被告の普通裁判籍即ち被告の住所の所在地の裁判所に管轄権ありとする原則は妥当である。しかし乍ら身分法上の訴についてはこれと異なる。親子関係、婚姻関係等身分法上の訴については、原被告間の金銭上の利害関係を調整し、当事者主義の支配する財産権上の訴と異り、社会公共の関心も充分に考慮せねばならぬのであり、それ故にこそ婚姻事件については公益の代表者として検察官の立会を要求されているのであり(人事訴訟手続法第五条)これにより被告の利益保護のみに限定せず、社会公共の立場から、善良の家庭秩序を維持することが図られているのである。従って、又、裁判管轄についても、婚姻訴訟においては夫婦が夫の氏を称する場合は夫の、妻の氏を称する場合は妻の、普通裁判籍の所在地の裁判所に専属管轄あり(同法第一条)とし、それが原告の住所地であると被告の住所地であるとは問うところではないのである。

第一審判決はこの規定を以て普遍的妥当性を有するとは考えられないとし、又、原判決は「わが人事訴訟手続法が離婚訴訟については職権探知主義を採用しているからといって、被告の右のように不利益の地位におかれることを考慮する必要はないものと解するのは妥当ではない」とするのは、人事訴訟の特質を誤解し人事訴訟手続法第一条を顧慮せず、形式的に被告の利益保護ということのみに捉われた見解であって首肯することができない。人事訴訟手続法第一条によれば夫婦が夫の氏を称する場合において夫の住所が北海道札幌にあれば仮令妻が九州の実家に帰っていても、札幌地方裁判所にのみ管轄があるのであって、この場合に夫から離婚の訴を提起するときは被告たる妻の利益保護ということのみに関して考えればその不利益たることは明白である。けれどもこれまた已むを得ぬこととされているのである。又日本に最後の住所もなく又は最後の住所も不明の場合は最高裁判所によって指定された地即ち東京都千代田区が住所地とみなされこれによって普通裁判籍が定められ、ひいては管轄裁判所もきまるので(人事訴訟手続法第一条第三項、人事訴訟手続法による住所地等指定規則)、訴訟当事者と何の縁もゆかりもない東京へ北海道や九州に住む者が上京して来て訴訟を起さねばならないのである。斯かる不便があり乍ら猶且つ前記の如き管轄の定めのあることは、婚姻事件においては被告の利益保護ということは考慮されるとしても、原告の利益もそれと同等に保護さるべく、それは財産上の訴訟とは異り訴訟をしてでも婚姻という身分の絆を断ちたいという当事者には矢張り当事者の如何を問わず保護を与えるべきであり、公共の代表としての裁判所が職権を以て事実の取調べをすることにより不当の訴が抑制され得るから、遠隔の地にある相手方に対して特に不利益となる結果が避けられるのである。

右の如き人事訴訟の管轄の特則は我が国のみでなく、ドイツにおいても婚姻事件の土地管轄は被告の普通裁判籍所在地ではなくて夫の普通裁判籍所在地とされているし(ドイツ民事訴訟法第六〇六条第一項、現代外国法典叢書(1) 独逸民事訴訟法一八九頁)、英国法でも離婚訴訟の管轄権は常に夫の所在地(しかも観念的の住所地である)の裁判所にある。(MARTIN WOLFF, Private International Law, 2nd edition 1950., p.75)従って「婚婚身分」の所在地に管轄権ありとする思想こそ普遍性を有し条理に適っていると信ずるのである。従って国内法上も訴の管轄は被告の普通裁判籍所在地にあるとの原則は、財産権上の訴のみについて妥当するのであり、婚姻事件の如き身分上の訴については、これと異る原則が適用さるべきであるから、本件訴につき我が国の裁判所に裁判権なしと断ずるについての原判決の理由の前提となっている判断は誤っているといわねばならない。

次に、国際法の観点から見ても本件訴について我が国が裁判権を有するのに拘らず原判決はこれを否定しているのであって、違法たることを免れない。原判決は『渉外的離婚訴訟の国際的裁判管轄については明確な国際法上の原則が確立されてなく……法律欠缺の一場合として条理に基いて妥当な規範を発見するのほかはない』としているのである。たしかに原判決の説く如く渉外的離婚訴訟については国際法上の原則が確立されていない。しかし、諸外国の立法を参照し、判決例を研究することにより、概ね諸外国においても承認さるべき裁判管轄権、換言すれば、国際的裁判管轄権の基準も発見し得る筈である。しかるに原判決は上告人の主張に答えず、諸外国の立法例を無視し、単に我が国の民事訴訟法のみを根拠として、条理を探究せんとしたものであって、審理不尽と思料する。

およそ離婚の国際的裁判管轄権について世界各国に共通の国際法上の原則が存在せず、大陸法系の諸国と英米法系の諸国とでは離婚法の原則に著しい差異が存するとしても、それは結局当事者が我が国で得た離婚判決がその本国において承認されるか否かという問題に帰着する。もし、本国の当該離婚判決承認の有無を考慮せずに(一般的に我が国の立場から見た)条理の名の下に或る時は裁判権を肯定し、或る時はこれを否定してもそれは結局我が国内のみに妥当する形式的な国際裁判権となってその実は真の国際裁判権問題解決とはならないのである。

これを例えて見れば当該係争事件の当事者の本国法上我が国の離婚判決が承認されないにも拘らず、我が国の裁判所が条理上裁判権ありとして離婚を判決した場合には所謂跛行婚の問題を生じ、又本国で我が国の離婚判決を承認する場合でも、条理上我が国の裁判所に離婚裁判権無しとするときは、当事者が本国に帰って裁判することが地理的に不可能の場合には離婚救済の途を塞ぐことになるのである。エルンスト・ラーベルは国際的感覚における裁判管轄を離婚判決の承認が求められる国、即ち本国の法廷地の観念に従って裁判管轄権を有することとしている。

ERNST RABEL, The conflict of Laws, A Comparative Study : 2nd edition 1958.

b) International jurisdiction. Despite the many confusing difference relating to the jurisdictional requirements of recognition in the enactments and doctrines of the world, their is one condition universally obseved, viz., that the court of judgment must have had jurisdiction in the international sense, i. e. according to the conceptions of the forum where recognition is sought. p.531.

即ち「世界の制定法及び学説上承認に際して裁判権上の要件に関して有する多くの混乱した相違にも拘らず、普遍的に認められている一つの条件がある。それは即ち判決する裁判所が国際的感覚において即ち承認が求められる法廷地の観念に従って裁判権を有せねばならぬということであるとしているのである。

外国の立法例を見ると、西独では、夫婦の何れもがドイツ国籍を有しない者である時は、少くとも夫婦の一方がドイツにその住所を以て結びついている場合にはドイツにおいて離婚の訴を提起し得るのであり(独民訴法六〇六条三項)而してこの場合に夫婦の双方が外国国籍を有する場合には跛行婚を避けるためドイツ裁判所の下す離婚判決が夫の本国法によって認められることを要する(同三項一号)としているのである。(前記ラーベル教授の所説と同じ趣旨の立法と考える)

(現代外国法典叢書(11)独逸民事訴訟法II一八九頁、一九三頁。-三四四-三四七頁)

同右(21)国際私法二一四頁。久保岩太郎教授「国際離婚事件に関するわが裁判権」一橋論叢三六巻一号、前記ラーベル著 Rabel, The Conflict of Laws, P.441,442

第一審判決は、条理探究の一方法として米国普通法リステートメント第百十三節を引用して、同国の州際離婚に関する州裁判所の裁判権について、副次的に(a)当該裁判所のある州に配偶者の一方が住所を有しない場合には(i)その配偶者が相手方の別居に同意した場合(ii)その配偶者の非行によって同人が相手方の別居に対し異議を申し立てる権利を失った場合、又は(iii )その配偶者が自ら当該裁判所のある州の裁判権に服する場合のほか(b)当該裁判所のある州に夫婦が最後の住所を有した場合において、その州の裁判所に当該夫婦の離婚訴訟について裁判権を有することとなっているとし、これらの基礎理念を以て我が国の条理探究に当って参酌されて然るべきものとしているのであるが、右引用に係る第百十三節は判例の結果により一九四八年に改訂され、配偶者の一方が州内に住所を有する限り何等の条件無しに、当該州はその離婚訴訟について裁判管轄権ありとされるに至ったのである。従って、第一審判決の引用は適切ではなく、我が国の条理探究に当っての参酌の結果も自ら異って来るのは当然であろう。

更に英国では、夫の住所地国に裁判権ありとしている。英国は米国と異り妻の住所は夫の住所と同じという法の擬制があることから米国と多少裁判権の認定が異って来るのである。

ダイシーはその著国際私法(The Conflict of Laws)第七版一九五八年版三〇四頁外国裁判所の管轄権第四十二則において、

The courts of foreign country have jurisdiction to dissolve the marriage of any parties domiciled in such foreign country at the conmencement of the proceeding for divorce.

とし、

即ち、「外国裁判所は当事者一方が離婚訴訟の当初において当該外国に住所を有して居た場合はその婚姻を解消する管轄権を有す」とし、英国裁判所が保持する国際私法上の規定に従えば、外国裁判所の離婚管轄権は婚姻が成立した国又は結婚当時の当事者の住所地如何に拘らず存在するのであると述べている。

尚、妻は夫の住所に従う規定についてダイシーは右国際法の住所(Domicile)の第十三則(二九頁)において英法にては、

The domicile of a married woman is the same as, and changs with, the domicile of her husband.

即ち、「結婚した婦人の住所はその夫のそれと同様で夫の住所の変動によって変動するものである」と示している。

従って、第一審原判決が我が国の裁判権の有無を定める基準たる条理の探究について参酌した例は必ずしも十分とはいい得ないし、原判決はこれらの点について全然考究するところがない。

二、ところで、第一審原判決は、一方においては「当事者の双方が外国人である場合でも、我が国の裁判権に服する実質的な必要がある場合には、換言すれば、当事者双方の生活関係が、夫婦として或は個々的に、現実的には日本の法秩序によって規整され、その下で営まれていてこれについて国が関心を寄せるべき必要が当事者の双方または一方が日本人である場合と同様であると認められるような場合には、日本の裁判所に裁判権ありとするのが条理上相当であるというべきである」とし、それは「人の或いは夫婦としての、生活関係は現実的にはその生活の本拠のある地の法秩序により規整されるころが大であり従って離婚ということもその同じ法秩序に従って規整されることが通常妥当であるという実際上の要請にも合致するものである」としている。これは属人主義即ち当事者の本国に原則的裁判権を認めつつ補則的に当事者の住所地国に裁判権を認める場合の、理由づけ乃至は必要性に外ならない。

とするならば当事者双方が我が国に住所を有するか又はかつて有していた場合や、第一審判決のいう如く被告の最後の住所が日本にあった場合に限定する必要はないと思料する。

たとえ、原告のみが我が国に住所を有しているにすぎず被告がかつて我が国に住所を有したことがなくても、原告の生活関係が単純な一時的滞在者としてのもの、もしくは短期居住者のそれではなくて一般の住民としての関係にまで至ったときは、換言すれば大陸法にいわゆる生活の本拠あるいはまたは米国法にいわゆる定住の意思を以てする居住関係にまで至ったならば、既にその者が我が国の法秩序の規整を受ける度合においてかつて原被告の双方が我が国にいた場合と何等異るところがないといわねばならない。(それ故にこそヘーグ条約も当事者の一方の住所地国の裁判管轄権を認めているのである。-その当否はしばらく措くとして-。)補則的に当事者の住所地国に裁判管轄権を認める理由づけ乃至必要性を考える場合に、当事者の双方が国内に住所を有していた場合に限らないとするならば、第一審判決の引用するヘーグ条約第五条の規定する如く被告の住所地国のみに裁判管轄権を認める理由はない。(ドイツでは右ヘーグ条約はまだ効力を有せず(Martin Wolff, Das Internationale Privatecht Deutschlands, Dritte Auflage, 1954 S. 240 )しかもドイツ国の外国人に対する離婚裁判管轄権は前述の通り当事者の一方の住所は原告、被告のいずれを問わない。)

およそ夫たり妻たる者が婚姻の絆から脱しようとして離婚を求める場合-財産分与、損害賠償、離婚手当、その他金銭上の請求をする場合を除き-特に原告に較べて被告をより厚く保護せねばならぬ理由はない。国内の土地管轄については前述の通りであるが国際的裁判管轄権についても全く同じである。あえて被告の利益を原告に較べて特に厚く保護する必要はないといわねばならない。

原告が故意に被告を遺棄して外国に移住して離婚を求め、もしくは離婚の目的で外国に移り離婚後に本国に帰る意志を有する場合(いわゆる移住離婚)の被告の救済については別に考えられるべきである。(既に米国では一九四八年のエスチン対エスチン事件において、他州で得られた一方的離婚の有効性と財産上の権利義務を可分的に取扱うことにより被告の救済を図っている。Estin V. Estin. 334 U.S. 541, 68 S. Ct. 1213, 92 L,ed. 1561.(1948)

三、我が国の学説

我が国では外国人たる夫婦の一方のみが我が国に住所を有し他方が我が国に住所を有しない場合における我が国の裁判所の裁判権について学説が分かれている。

この内まず夫が我が国に住所を有する場合のみ我が国に裁判権があるとの学説はもはや支持を失っている。

次に被告が我が国に住所を有する時は我が国に裁判権があるとするものがある。右は前記ヘーグ条約と同じ立場に立つものすなわち被告の立場を重視するものであるが、先に述べた如く財産上の訴訟の問題と異り婚姻関係の解消という身分上の問題について被告の立場を原告の立場より厚く保護する理由はなく、むしろ原告も被告と同等に保護されるべくまた遠く大洋を隔てた被告の住所地に離婚訴訟を提起せねばならぬとすればそれは原告に対して非常に重い負担を課するものであってこれに賛することはできない。

第三は外国人たる夫または妻のいずれかが我が国に住所を有するときはそれが原告の住所であるか被告の住所であるかを問わず、我が国に裁判権があり我が国の裁判所に離婚訴訟を提起することができるとするものである。

思うに例外的に住所地国に離婚裁判管轄権を認める趣旨からみる時は原告であれ被告であれ少なくとも当事者の一方が我が国に住所を有し我が国の住民として我が国の私法生活の一員としての資格を得るに至った場合には我が国の私法秩序の規整を受ける者として我が国の裁判所に離婚裁判権を認めることが条理に適うものであり第三の立場が妥当と信ずるのである。(前掲久保教授論文。特に一一-一三頁)

ところで上告人は原判決も認める如く一九五〇年すなわち昭和二五年末日以来既に一一年余我が国に居住しているのであり、日本に永住の意思を有するのであって、前記の国際離婚裁判権を認める基礎たる住所を我が国に有するのである。被告は訴訟書類を適法に送達され、答弁書その他書面を以て我が国の裁判所に攻撃防禦の方法を提出したり、陳述書、上申書その他裁判所の審理の資料を提出する機会を充分に与えられていたのであるから本件訴について特に不利益を蒙ったことはない。

以上の如き理由により我が国の裁判所は本件について裁判権を有するのであって、本件離婚事件について裁判権なしとした原判決は法の解釈を誤っているといわねばならない。

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